写真家の冬陽さんが亡くなっちゃいました。

ブルたん、別冊宝島『ゲイの学園天国』の巻頭グラビアモデルなんですけど、その時のカメラマンが冬陽さんでした。13年くらい前の話なので、服装的にも相手役(おまこ)的にも、今見るといろんな意味でこっ恥ずかしい写真ですけど、まさしくゲイ業界にいろいろと関わっていくその後の人生を象徴していたものかと思います。
冬陽さんは、ひょうひょうとした口調でリラックスさせてくれて、楽しく撮影できたのを覚えています。

その後、バディ誌面でも冬陽さんは活躍されてましたけど、自分は担当になることがなかったので、まあ飲み屋や仲通りで挨拶するだけの関係でした。でも、あのちょっと軽い雰囲気とか、若い子撮ってついでにいじったりしてそうなところとか(あくまで想像)、まさしく「ちょいモテオヤジ」のイメージで、日頃から高田純次の無責任さが目標の自分としても、かなりいいところにいる年上オカマでした。
ちょっと早かったと思うんですけど、十分にステキなゲイライフを送られたんじゃないかと勝手に想像しています。


名古屋の酒井、女装名プリンセスめい子も亡くなっちゃいました。

オカマ魂が20代以下はどんどん希薄になっているとババア達が危惧する昨今ですが、それがこのまま止まらないとしたら、ある意味最後っ屁にあたるのが自分も含まれる30代組。その中でも、めい子は本当にすごい女でした。

とにかくパワフルで、かつ幅の広い活動だったと思います。ゲイのクラブシーンがなかった名古屋に、ダンスヘブンを立ち上げ、ゼニスを作って、ゴーゴーやドラァグ達を育てて…。もちろん東京大阪にもそれぞれクラブシーンの立役者はいるけれど、めい子はあの土地で、一人際立っていたし、シーン作りという使命感を自覚してやっていたのが印象的でした。

うちの社長の周りにいる人達は、当然経営者、商売人的な人がほとんどなので、ライトリブ&メディア畑出身の自分は挨拶どまりなのが普通だったんですが、めい子だけはすぐに仲良くなれた気がします。それは経営者でありつつ、ゲイシーンへの愛と、もの作りの意欲に溢れた人だったからだし、その気持ちを照れずに常に周りに叫んでいたからだと思います。
めい子は、毎年のようにUC周辺のお笑い女装をごっそり名古屋まで呼んでくれて、場を用意してくれました。出不精でめんどくさがりのオカマが名古屋のシーンに多少なりともつながっていられたのは、本当にめい子あってのことです。
飲み屋街とゲイタウン、経営者とパフォーマー、リブとエンターテイメント、彼のようなオープンな心の人だからこそ、本来つながりにくいものの間に入ってつなぐことができたのだと思います。


その素晴らしく前向きな活動の中で、彼が抱えていた重みを考えると本当に切ないです。逆に言えば、彼の死は日本のゲイシーンの移り変わりの中で、あまりにも象徴的な出来事でした。

なんだかこの現実を思いつめると腐ってしまいそう。


でも、ギリギリでいつも生きていたいから。
ここを今飛び出して行くしかないんです。
この嘆きを未来へのステップにね。

ってまんま、KAT-TUNで締めるアタシ。
こんな風にすかすことで生き長らえてきました。