元彼ノブが『嫌われ松子の一生』を観に行くというので、喜んで付き合いました。三度目の松子。すっかりトリコです。中谷姐さんの中指炎のコマ~のトリコです(違う)。

観終わってメシを食いながらいろいろ話してたんですが、ノブが「松子が自分に似てて楽しかった。引きこもったり立ち直ったり、あんな風に生きるのがいいね!」みたいなことをケロッと言ったので、ああやっぱり3年半付き合えたヤツだなあと思いました。このふてぶてしく根拠のない強さはちょっと見習いたい。(ちょっとでいい)

自分なんかは、作品の設定・演出として結果的に松子が伝えてるメッセージのポジティブさに大感激はしてるものの、実際にはああはとても生きられない。やーよ、顔殴られたりムショ暮らしするのなんてぇ。(でも全然ありえそうで怖い)


ところで映画批評サイトとかでもいろんなレビューを読んだりしているのだけれど、松子という作品は、そのキャンプ演出といい、意地悪なほどの振り幅で見せるポジティブ哲学といい、自分のセンスと人生観にドンピシャンなため(こういうものすごい作品を自分で作る才能が無いのがくやしくもあるけど)、この映画に対する他人の反応って注目度大だなと思いました。

つまりセンスと哲学が似ている(相当おこがましいわぁ…)以上、自分の本気バージョンのメッセージを正しく受け取ってもらえるかに、かなり重なりそうなんです。
過去に何度か経験している「オタゲイって、個性的な女の人を侮辱して酷い!」とか「ブス記事には本当に傷つきました!」みたいな反応って、まさしく自分の中ではむしろ普通の記事以上に愛を込めて送ったエールなのに「なんで?」と思うんですが、このすれ違いはまさしく、松子の受け止め方にも通じるものなんだなぁと。
まあ、より多くの人に嫌われないように優しい物言いに調節することも仕事によっては必要かもしれませんが、やはり表現哲学を貫くことのほうが自分にとっては重要なので、今後もそのへんはなるたけブレずに生きたいなと思った次第です。
「人を怒らせるのが好き」と言い切るマドンナみたいな強さが欲しい。ついでにあの旦那も財産も欲しい。


とまあ、松子どっぷり週間を送ってるわけですが、他の表現にも触れなければと、深夜にマン喫で、『キーチ!!』を最新刊までまとめ読み。大好きなコミック『ザ・ワールド・イズ・マイン』の新井英樹氏の現行作品。
この人の表現は同じく大好きな楳図かずお大先生とは違って、全っ然オネエセンスではないです。むしろすっげーノンケ男臭い。でも、恐ろしくソウルフルであり革命精神に溢れている人なので、俺様の熱い男の子な面(あったのかよ!)にギュンギュン来るんですよ。世の中の善悪を問い、ネット社会に挑戦的なメッセージを投げかけているという意味では、大人気の『デス・ノート』なんて足元にも及ばないくらい、新井作品は凄まじい高みに達してます。
『キーチ!!』も、序盤はどうなんだろうと思っていたんですが、どんどん『ザ・ワールド~』と同じスケールに話が動いていって、相変わらず胸躍る熱さでした。

やー、世の中には、素晴らしい魂を持って、それをものすごく高水準の表現テクで人に伝えようとしている人がいっぱいいる。本当に惚れ惚れします。


実はこないだの土曜明け方、歌舞伎町のイベントの楽屋で、エスムラルダとなぜか「最近の情報溢れる社会ってさ」なんて半分溶けたメイク(ほぼ趣味女のオッサン)のままで話し込んでたんですが、ホントここ数十年で人間の脳に送り込まれる情報量はエライことになってますよね。
多分、ちょっと昔の農村に住んでた人間なんて、日々のニュースは「戦慄! 村の田吾作、肥溜めにハマる!」とかその程度のことだったわけでしょー。
もう今の、ネットで世界じゅうの個人のつぶやきさえつながってる状態なんて異常事態もいいところ。脳というハードウェアはそう簡単に進化できないのだから、ほぼ確実にデータ量はオーバーフローぎみなのでは。そら、うつにもなるわ。心ない子供も育つわ。

やはり大好きなコミック『魔女』(五十嵐大介)の中のセリフに
「あなたはまだ本を読んではダメ。経験が少ないから。
経験と言葉は同じくらいの量がないと、心のバランスがとれないの」
というようなのがありました。(けっこううろ覚え)

今は玉石混合、それも多分石のほうが圧倒的に多いデータの洪水の中で生きる時代。
いかに不必要なデータをスルーして、たまにある優れた表現をキャッチできるかがキモなんでしょうね。
その上で、生きた人間とやり合ったりの、体で直に感じる経験も積極的に積んでいかないと…。まあそのへんはけっこう得意よ!(絶対、偏った方面)

ヘンに肥料をやり過ぎちゃダメ、たまには陽に当てないとダメ、つうことで、心に大きな花を咲かせてあげたいものですね。アナルローズばっかり咲かせてちゃダメだゾ!(そんなにいねーよ)