駿先生にはナウシカショーでお世話になっているので(一方的に)、新作チェックは義務なんです。
というわけでボイス@四谷区民ホールの打ち上げの後、土曜深夜の回にオカマ5人で『ハウルの動く城』観てきました。
事前に聞いてた周り数人からは、たいしたことないみたいな評価が多かったんですが、いや、すげー良かった。後半はずっと涙目。やっぱり駿先生は天才です。

説明不足、という感想はよく聞くんですが、ちゃんと行間読めば意味がわかるものばかりなので(えらそう)、オタク系芸術映画にありがちな勝手な思い込み系説明不足とは全然違います。自分は、ナウシカはもちろん、もののけも、千尋も、全部に心酔してきた人なので、とにかく駿先生の表現とは相性がいいみたい。もうさー、いちいち説明されなくてもぉ、駿の気持ちが全部伝わってくんだよねー(キモい彼女風)。

いつも思うんですが、駿先生の描く舞台って、やたら絶望に満ちてるんですよね。わかりやすく荒廃した未来はもちろん、人間の欲望渦巻く湯屋だったり、どうしても争いがやめられない世界だったり。しかもその状況はひとつの完全悪のせいで作られてるものじゃない分、より切なくてリアルです。
そこに、たった一人の、希望を託された天使がいる。ナウシカも千尋もソフィも、彼女らの武器は、少々の機転とまぶしい意思の力だけで、でもそれだけが、絶望に向かっていた足し算の式を少しずつ変えてくれるわけです。

ストーリー上わかりやすく作り上げられた希望の象徴は、あまりに純粋で強い。ぶっちゃけ、あんないいヤツいない。でも繰り返し語られるそれを観る度に、みんなが少しでもそこに近づこうとすることで変わる可能性への、涙ながらの想いが伝わってくるんです。駿先生が、瀕死の「光」に必死で死なないで欲しいと叫んでる。セカチュウなんかより(観てないけど多分)本気で助けてくださいと叫んでると思います。

だからこそ自分も、少しでもナウシカに近づくために、ショウとかしてるんですよぉ(理解の仕方が間違ってる)。

クシャナや巴御前、荒野の魔女に代表される、本質的な悪ではない敵キャラたちを、愛情たっぷりに描く優しさにもいちいち泣けます。本当に、どうしたらあんな風に、包み込めるんでしょうね。
そして、この繰り返しのテーマを、毎回いろんな舞台設定とキャラクタ達で楽しませて見せてくれる、エンターテイナーとしてのプロのお仕事っぷりにも、ひれ伏したい気分です。

人の遺伝子には、闇に向かう引力と、それに抗うための光への憧れがインプリンティングされているんでしょう。多分、良いとか悪いとかではなく、光へともがくことが生きるということじゃないかと。
自分ももがき続けたいと思います。
本当にいい映画でした。駿大先生ありがとう。