今、締め切り真っ最中です。夜が似合うオカマなのでいつも暗くなってから会社に来て、昼にこそこそ帰ってます。でもなかなかネームがあがりません。あーんデザイナーのしま乳さんごめんなさい。乳しぼるから許してェ。

 やっかいな仕事のひとつが同性婚に関する特集です。今年はアメリカを中心に世界的に同性婚がものすごい騒ぎになってたんで、それをまとめているんですね。とにかくアメリカの騒動に関する資料は膨大で、一通り読んで理解するだけでも大変でした。何せ俺様ときたら最後に読んだ小説は『バトル・ロワイアル』ですから(ひいぃぃ←毛の生えた叫び)、難しい文字の羅列って頭に入ってこなくてサ。でもやっと理解した。いやー、アメリカは熱い国ですな。最後はウンコブッシュが勝ったというオチがどうにも切ないですが、このドラマチックな一年間は歴史の財産だと思いました。実際、80過ぎのバアさんのカップルの話とか読んでて泣けましたもん。


 対して日本は、手前味噌ながらバディが神社での人前結婚で話題作りをしたり、その後同じく形式的なものがゲイ・イベントとして少々あった程度で、動きとしてはかなーり寂しいもんです。ダメじゃん! ウサギは寂しいと死んじゃうんだよ!(関係ない)

 思うに、大量のオカマが偽装結婚しないのを選択した今、オカマ達はレールのない人生に放り出されているのです。映画版ウテナでいうところの、荒野を素っ裸で突っ走ってる状態ですよ。つまり、人によっては一生好き放題に楽しくできるが、いろいろ病気とかのオマケリスク付き。しかも大半の人間というのは何か縛りがないと安心できない性質だったりするので、このままではどんどん宗教に走るオカマ(まあいいけど)とか、寂しくて死んじゃうオカマとかが出てくると思うんです(やっぱりウサギ関係あった)。

 別に昔ながらのお家同士の結婚など要らんが、多少なりともゲイの関係を保障する何かがないと、10年後には人生における吊り革がないフラフラしたオカマだらけになってると思いますよ。「かすがい」が無さすぎです。子はともかく、法的な権利もなければ周囲への披露もあまりないわけで、そういう中で揺ぎ無い価値観を持っていける立派な人間ってのは実はすごいひと握りでしょう。で、ほとんどのオカマは結局子供のまま年ばっかり取っちゃって、冬でも運動着に半ズボンで、お菓子食ったり踊ったりだ。(自戒の念を込めてみた。つかこれはオカマの素敵なカルチャーでもあるけどね)

 ノンケ兄ちゃんが子供の寝顔見て「俺もしっかりしなきゃな」と思うような、そういうしょっぱい縛りって意外と意味があるわけですよ。で、ゲイは無さすぎだから、一晩中四つんばいで種壷になっちゃったりする部分も少なからずあると思います(極端な例やね)。
 というわけで、個人的には結婚しない負け犬女って好きだけど、それと、実際問題としてゲイ全体の不安の総和が膨れていく悪影響の怖さは別物なんです。現実的な、入院時に面会する権利だのっていう必要性は当然のものとして、もうちょっとメンタルな部分での効果もあるんじゃないかなーと日々感じているのでした。


 ここまで言っといてなんですが、自分自身は「すげー同性結婚したい!」というかんじでもないんです。むしろ小っ恥ずかしくて、俺様には荒野の地獄行きが似合うわな、と思ってたりして。でもね、ちょっと前にバディがやった特集『ゲイのランク王国(タイトル盗作疑惑)』で、「同性婚は法律で認めるべきだと思いますか」って質問があったんですが、15%くらいの人が「認めなくてよい」って回答してるんですよね。まあたかが15%なんですけど、されど「ある程度は情報を受け取っていると思われる、バディのアンケートに回答するようなゲイ」の15%です。「認めなくてよい」じゃなくて「自分はしないが、必要な人もいるだろうから認めてあげるべき」となぜアナタ思えないか。心狭くないか。いつか必要なるという想像力ないのか。なぜあたしカタコトか。
 必要なものを必要だと言えないオカマのふがいなさには苛立ちを覚えるので、発破かけたげーるぅ、そんな明菜的な気分で、最近このテーマにご執心なのでした。
よし、言いたいこと言ったので、もう少し記事らしくまとめていこう。(と仕事をアピール)