2006年07月

そこに愛はあるのかい(長文)

江口洋介ってどうも好きになれない俳優なんですけど、このセリフはものすごく気にいってます。野島伸司は『世紀末の詩』を筆頭に、愛にまつわる寓話的なメッセージを多く発していたステキな人でしたね(過去形ひどい)。


ひとつ前の日記の「新木場ホモ狩り事件」。当初は、mixiのニュースについてのコメント日記、つまりほとんどノンケの反応についての反論を書いたつもりでしたが、その後いろんな人の日記などで、ゲイ自身の側も想像以上に、被害者の行動の是非のほうに論点を求めていることを思い知りました。
(※ところでノンケと書くとまるでノンケ全てを指しているようですが、もちろんそういう日記を書いたノンケのことです)

mixi日記のパターンとして自分の日記にコメントをつけてくれている方々は、同意してくれる人が多いのでむしろ励みになったんですが、現実を見渡すと、ノンケという9割がたの広大なエリアのみならず、ゲイのエリアでもけっこうな割合で被害者自己責任論が展開されているようです。

自分の意見は前の日記と変わらないんですが、補足的に、ぼせくんの日記がいい例え方してくれていたので引用させていただきます。
「これが、【近隣住人による同性愛者への抗議…「私たちの公園を返して」】みたいなニュースだったら、話は大きく変わるんだろうな」

そういうことなんです。
こういうトピックなら、素直に「オマンコ狂い人間(違う)性に奔放なゲイ達の行動について戒め込みで考える」という話題でいいんですよ。
その時はブルたんも「あーん戒めなきゃー」なんて縮こまりながら聞く気にもなります。

実際に既に重傷を受けている人間がいるのに、その罪よりも、そこにいたった行動のほうを問題にするのは、お願いだから別の機会にやってほしいんです。
日本語的にも「強盗傷害犯がやったことはひどいことだが、被害者もどうかと思う」 と書けば、国語を学んだ人なら(イヤミ)それが「強盗傷害犯がやったことはさておき、被害者の罪をクローズアップしたい」に近くなるメッセージ発信だと分かるはずです。せめて「被害者も愚かだったけど、強盗傷害犯は本当に許せない」という語順で書いてほしかった。



今から15年ほど前、まだブルたんの顔やケツがプリップリだった頃に、当時付き合っていたオトコが「血液製剤でHIVに感染した人はかわいそうだけど、性行為で感染した人は自業自得のやつらだから同情の余地はない」という意見を言って、大ゲンカになったことを思い出しました。

「自業自得」なんて、人に言われるまでもなく本人がとっくに思い知ってるんじゃないでしょうかね。殴る蹴るの暴行を受けてボロボロになっている人間なら、身体じゅうの痛みが、そしてHIVポジティブなら、不安との葛藤の日々や薬を飲む煩わしさなどが、「自分の甘さ」に対してもう十分だろうというくらいの「つらい思い」を与えているって想像できませんかね。
なぜ、何の損害もこうむっていないはずの見ず知らずの人間が、「お前が甘い、悪い」と追い討ちメッセージを発信する必要があるのでしょう。
もしかして「そんなやつらがいるから、同じゲイとして迷惑」という損害なんでしょうか。それって、ゲイパレードの女装や露出マッチョを貶める発想に逆戻りですよね。


もちろん、社会運動的な効率の良さを求める際には、場を選んでしたたかに「現状では、性に奔放なゲイ達がいるのも事実で、それには眉をひそめております」と言うのはアリですよ。自分も場を選べばそういう演技もしたいくらいです(キャリアウーマン風メガネとかで)。ゲイリブのうち、対ノンケゾーンの、公正明大さと建前で動くエリアでは、それに見合った戦略も必要ですからね。

でも、ゲイtoゲイの本音のエリアでさえ聞かされる、「今回の件における被害者自業自得論」には、心底ガッカリするのです。


男性ゲイの性が奔放なのは、疑いようのない事実です。ブルたんの愚息もウンウンとうなずいています。
でもそれはゲイという人種が生まれながらに腐っているのではなく、社会的な状況の中で生まれた傾向じゃないですか。性衝動の強い「男性」同士だからヤリまくるし、少数派だから誰かとつながりたい気持ちいっぱいですぐにくっついちゃうし、どうせ日陰モノだから変態行為に踏み外しやすいし、社会単位に認められていなくて生きがいも得にくいんだから刹那主義になる傾向が強いんです。そういう事情を真っ先に汲み取ってあげられるのは、同じゲイくらいじゃないですか。

その諸問題から自分を律するのは立派だと思うし、やれる人からどんどんやってほしい。自分がそうしたいと思うなら貞操体つけるのも大賛成です。鍵を預かってもいいです。
でも律し切れていない他のゲイを貶めることで、自分が律していきたい気持ちの表明に変えるのはちょっとずるいと思います。愛情ゆえの厳しさ、というなら、まずは愛情をイヤッちゅうほど見せてほしい。


「人なんてみんな違うから、人はしょせん一人」という人の宿命を前に、それでもなんらかの属性でつながろうとするのが多くの人間です。
生まれた地域や血縁などの物理的な属性が幅をきかす中で、ゲイ・コミュニティというのは、愛と幻想をつなぎにした心の国なんですよ。

もちろん自分だって日々そんな薄ら恥ずかしいことばかりを言うつもりはありません。というかむしろ「あのクソブスまじムカつくのよー」とか言ってる日のほうが多いです(ホントに)。
でも、マジメな話をしようって時に出てくる言葉に、愛や優しさが感じられなかったら、それはゲイ・コミュニティにこだわった仕事をして生きている人間には、本当に悲しいことなのです。ぶっちゃけ、そのへんもう慣れたつもりだったけれど、今回改めて痛みを覚えたので、こうしてしつこく書かせていただきました。痛みを乗り越えてやり続けるには、まだまだ拡張しなきゃいけないのかなぁ…。


ハローベイビー
優しさって
無限に続く愚かなほどの優しさって
いつかは愛にたどり着くかな
(『世紀末の詩』より)

野外露出と強盗傷害は、どっちも同じ悪いこと?

Yahoo!やmixiで配信された時事通信社のニュースです。

同性愛者襲い、現金奪う=「届けないと思った」-高校生ら4人を逮捕・警視庁

野外系は廃れたと言われつつもしっかり続く露出ハッテン。
んで、「後ろめたいことをしているゲイなら届け出もしないだろう」といういやらしい発想からの強盗傷害事件です。

このテのニュースになると、公序良俗に反する野外露出ハッテン行為も一般的に「悪い」ことにはなるわけなので、一部のゲイすら含めて「強盗傷害なんてひどいけど、被害者もどうかと思う」という感想になりがちです。
実際、このニュースに関するmixi日記を付けているノンケの皆様の大半もそんなかんじでした。


でもさ、自らの変態欲求のために、ハッテン目的(か強盗傷害目的)の人しかいないであろう、夜の郊外のハッテン公園で全裸徘徊をすることと、マイノリティの後ろめたさに付け込んでわざわざそういうエリアに乗り込んで、4人で「重傷」負わせるまでボコって金奪うことを、「同じ悪いこと」って語るのはどうよ。

被害者にあるのは「変態性」であって悪意ではない。夜のハッテン公園を選んでいる時点で、基本的にはノンケに見せて不快感を与えようともしていない。
正当なオシオキがあるとすれば、マッパをマッポに怒られ始末書書かされるとかそういう程度のことであって、悪意に満ちた高校生4人に強盗傷害を受けることではないだろうて。


ところが、夜の公園を裸で徘徊という、ノンケには異様なイメージが伝わる情報がくわわるだけで、強盗傷害という圧倒的な悪行はおいといて、被害者側の謎さのほうに焦点がずれちゃうのですね。

重傷受けて金とられて、その上ニュースを読んだ事情知らずのノンケ達に「お前のほうも変態で悪い」くらいのことを言われなければいけない露出狂さんが、本当にかわいそうです。

時をかける少女

ドンパパ原田知世さんって、根拠のない高級感・お文化臭で自分を売り続ける女の筆頭だと思うんです。このウサン臭さが、ウサンどころかウン臭いなんて俗ネタにもつながるんでしょうね。ちょっといい気味だったり…。

そんな知世の映画デビュー作にしていまだ超えられぬ本人の代名詞が『時をかける少女』なんですが、今、最新のアニメ版映画が絶賛公開中です。
絶賛つうても、東京ではテアトル新宿のみの上映ですけど。ちょっと前に『ヨコハマ・メリー』を星屑スキャット三姉妹のライブ付きで観たばっかりの劇場だけに愛着がわきます。

多分、この夏の国産アニメ映画、「露出度と広告費」は

ゲド戦記>ブレイブ・ストーリー>>時をかける少女

ですが、「デキの良さ」はこれがまるっと逆転してそう(ほか二つ見てないけど)。

アニメ版『時をかける少女』、すごーく良かったです。

あんなに、みずみずしいアニメ映画ってそうそうない。いわゆるキャンプなひねた喜び方はあまりできないんだけど、たまにはそういうの忘れるのもいいなと思えるくらい、真っ当に清清しい青春アニメでした。
まっすぐな恋。前を向いて走れ。
あー心が洗われたわー(洗っても洗っても落ちない汚れが…)。

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最後のACE

7/1は二丁目を代表するクラブ、ACEのファイナルパーティでした。

思えばUPPER CAMPはBar Delight~ACEとともにありました。
パソコン通信ネットUCのオフ会会場として借りたのが94年。
"CAMP '94"で、ブルボンヌやエスムラルダ、サセコはデビューしました。正確にはまだ女装名はなかったけど。
当事はまだあのマーガレットさえドラァグ・ネームというものがない時代で、「こんばんわ、小倉東です」なんて言ってゲスト出演してくれてました。男やん。

その後、毎年周年パーティをやるうちにUCはいつの間にかパソ通ネットから女装サークルになってしまいました。それもお笑い寄り。多分、生存本能に長けていて、自然とニッチなポジションを見つけたんでしょうね。

ACEになってからは隔月の定例イベント"CAMPY!"を開始。
ここでUPPER CAMPという女装ノリの全てができあがりました。
笑わせ系のショウ連発、へんてこテーマ&フライヤー、女装演劇、などなど…好き放題やってたなぁ。今思うとあれはクラブイベントとは言えなかったかもしれませんが、自分がやりたいことを全部やらせてもらったハコでした。

そして、自らオーガナイズし、脚本を作り、出演するという作業の繰り返しに息切れがしだして(女装アバレもあったし)、"さよならCAMPY!"をやることに。小石川が作ってくれたフライヤーは女装全員が死んでいるお葬式写真でした。
最後のショウタイムの後のMCで、ブルボンヌが「今日でCAMPY!は最後ですけど、こうしていろんな表現を作らせてもらって本当に楽しかった。ゲイは子供が作れないけど、その分、ほかのものをいっぱい作って与えていけるんだと思います」といつになくマジメに語った時に、ACEを作ったアキさんがひときわデカい声で「そうだ!」と答えてくれました。

レインボー祭りとその花火を生み出してくれたのもアキさん。自分はアキさんときちんと長話をしたことは一度もなかったけれど、本当に彼にいただいたものは大きかったと思います。


ACEは、二丁目に常設クラブを作りたいと思った、人一倍、夢と実現力を持ったアキさんが残したゲイ文化の玉手箱、強烈にゲイ魂のこもった場でした。
もちろん、ArcHにもその意志は引き継がれるものと信じていますが、その直系の空間が今夜終わってしまうというのは、本当にいろんな意味で感慨深いものがあります。

アキさん、まっちー、たつや、スタッフの皆さん、お疲れ様、ありがとうございました。

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