映画

レディ・イン・ザ・ウォーター

lady.jpg『レディ・イン・ザ・ウォーター』、待望のシャマラン監督の新作です。

シャマランの映画は、心の通じ合った元カレ(だと思う)と一緒に見るというお約束があるのが、ちょっとステキなところ。今回も久しぶりに会って「やすき老けたね~」と言われつつ(「いやー」って照れ笑いでますますシワシワみたいな)、映画後半は一緒に泣きまくって、幸せな時間でした。


事前の風評がさんざんだったので、けっこう心配だったんですけど、自分にとってはなんと、もともと『シックス・センス』以降の作品全てが大好きなのにも関わらず、それを上回る最高傑作となりました。

風評が悪いのはよく分かります(調べたらミクシィのレビューも平均3点切ってた)。監督は「一般ウケ」をほぼ捨ててるんですね。今作は監督がやりたいこと、伝えたい想いが全開でしたから。
『シックス・センス』が一般にウケたのは、ホラーブームの先駆け+ドンデン返しというところだったと思うんですが、本当に素晴らしいのは、映画後半での「幽霊は住む世界が違うだけ。怖いものじゃない」という視点の変換部分。インド系監督のシャマランの作品は、常にマイノリティ意識と、それを超えて人がつながる、理解し合える希望に満ちているのです。自分だってホラーもどんでん返しも好きだけど、一番好きでたまらないのは、その部分。自分にしたら、むしろありがとう、よく好き放題やってくれたという気持ちでいっぱいです。

もう、冒頭から涙腺が緩み、後半は泣きっぱなしでした。アパートを舞台にしたおとぎ話なんですが、いろんな人種の住人がいるこのアパートは、世界全体でもあり、一人の人間の内面でもあります(個人的にはオンマー!と叫ぶ韓国ギャルがアゲ)。
言葉にしてしまうとあまりに照れくさいような、当たり前だけど大事な願いというやつが、シャマラン監督ならではの不思議なテイとすかし具合の中で語られていって、最後には確かな希望や可能性というものを感じさせてくれました。


ところで、パンフレットを買って読んでいたら、映画評論家が、ひたすら映画としてのテクニックがどうこうみたいな知識自慢っぽいつまらん評の末に、シャマラン監督自身の出演が今作では多かったことを「出しゃばり」と批判していました。この人、この映画の何一つ読み取れてませんわ。というか、同じパンフレットの中で、監督が自身の出演の理由については先に語ってるだけに赤っ恥もいいところ。
この映画の「現実は『ストーリー』によっておとぎ話になり、奇跡すら起こせるのだ」という最大のメッセージは、現実に「伝える作業」を生業にしている監督自身が、たとえナルシシズム込みでもあの役を演じるからこそ、説得力を持つというのに。この評論家さん、自分が映画の中でネタにされて食われちゃった人物と全く同じことを繰り返してるって気づけないんでしょうね。カワイソウ。でも頑張ってね!(フォロー)

まあ、監督は映画の中でもちゃんと皮肉っているように、世の中の多くの人は、すんなりと受け入れてくれないことも重々承知で、「妙」な映画を作り続けているんだと思います。売れ線のソレっぽさをメインにすれば、言っちゃなんだが「読み取らない人々」にも「怖かったよねー!」「ビックリしたよねー!」と絶賛されるし、そうすりゃより儲かるんだろうけど、一度そういう栄光をモノにしておきながら、以降はどんどん自分の作家性とメッセージをむき出しにしているシャマラン監督は本当にかっこいい。もちろんその作家性とメッセージ自体が素晴らしいからこそですけど。


オカマが子供の心のまま、傷を抱えて体だけ大人になってしまった存在なのだとしたら、オカマにこそ見てほしい作品。おとぎ話を信じて、共同体で手を取り合う夢に賭けてみてください。

時をかける少女

ドンパパ原田知世さんって、根拠のない高級感・お文化臭で自分を売り続ける女の筆頭だと思うんです。このウサン臭さが、ウサンどころかウン臭いなんて俗ネタにもつながるんでしょうね。ちょっといい気味だったり…。

そんな知世の映画デビュー作にしていまだ超えられぬ本人の代名詞が『時をかける少女』なんですが、今、最新のアニメ版映画が絶賛公開中です。
絶賛つうても、東京ではテアトル新宿のみの上映ですけど。ちょっと前に『ヨコハマ・メリー』を星屑スキャット三姉妹のライブ付きで観たばっかりの劇場だけに愛着がわきます。

多分、この夏の国産アニメ映画、「露出度と広告費」は

ゲド戦記>ブレイブ・ストーリー>>時をかける少女

ですが、「デキの良さ」はこれがまるっと逆転してそう(ほか二つ見てないけど)。

アニメ版『時をかける少女』、すごーく良かったです。

あんなに、みずみずしいアニメ映画ってそうそうない。いわゆるキャンプなひねた喜び方はあまりできないんだけど、たまにはそういうの忘れるのもいいなと思えるくらい、真っ当に清清しい青春アニメでした。
まっすぐな恋。前を向いて走れ。
あー心が洗われたわー(洗っても洗っても落ちない汚れが…)。

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嫌われ松子を愛する理由(長文&後半ネタばれあり)

『嫌われ松子の一生』に心酔してます。
試写で見て号泣。土曜日にゲイ友7人とレイトショーで見てまた涙。さらに今週、もう一度元彼と観に行く予定です。

この映画の見事な「オカマ好き」っぷりについては、バディの紹介記事(7月号絶賛発売中)で、「五社英雄映画の堕ちゆく女の悲哀を、チャリエンばりのフルスロットルな映像で見せて、最後はブロークバック並の深い愛を教えてくれる」みたいな言い回しで伝えた通りです。我ながらうまい例えだわ~(自画自賛)。本当に、あんなオカマが喜ぶオカズいっぱいな幕の内弁当みたいな映画がよく出来たもんです。

生涯観た映画のベスト5に入る、と試写以降言い続けてきたんですけど、映画って状況によって観たいものも違うので、具体的な順位をつけるのは難しい。でもあの、笑いから涙までの全部入り感や、最終的なテーマの深遠さを考えると、現状では松子が1位なのだろうなと感じられる、自分にとってはそれくらいに素晴らしい映画です。

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(以下、ネタばれあり)

2回目を見て、ネタばれなしの絶賛だけでなく、松子への愛をちゃんと具体的に書き留めておきたくなりました。いまだ原作は読んでいないし、実際には制作者の意図とは違う解釈もあるかもしれないけれど、そんなズレが生まれるのも映画のステキさだということで、あくまでブルが捉えた松子世界について書きます。


まずこの映画は間違いなくハッピーエンドです。
切ないし悲惨だけれど、とてもとても幸せな映画です。

松子は、状況として(一般的な感覚では)堕ちていく一方だし、本人もその度「なんで?」と落胆している。でも七転び八起きよろしく、かならずそこから這い上がることができる。そしてそのバカみたいに前向きな這い上がりパワーは、全て「愛」のなせる業でした。

松子の愛の質については、リュウくん側からはまさしく「神の愛」であったように、恐ろしいほど圧倒的な無償の愛です。彼女は自分がそう「決めた」ことで、まさしく地獄の底まで付いていける。でも「相手がそれを拒否している」と思った瞬間から、意外なほどあっさりと相手を切り替えることからも、その相手選びに関してはまるで執着がありません。昔からの因縁があったリュウくんの後が、まさかの「よーおこそここへ」内海くんへの切り替えだったように、愛を注ぎ、それを受け止めてくれる相手さえいれば良かったんです。

家族やリュウくんとのエピソードからしても、松子は自分が抱える愛が膨大すぎて、その放出がうまくコントロールできないし、相手の反応が自分と違う複雑な表現だった場合には、それを「拒絶されている」と思ってしまう。父親からの愛も日記を読むまで分からなかったし、リュウくんが出所後に逃げた気持ちも松子側は分かっていないでしょう。


松子はただひたすらに、たっぷりの愛を注ぐ「ただいま」と言える相手に、「おかえり」と返して欲しかっただけなんです。

逆に、それこそが全ての到達目標であるために、その相手を見つけるまでは死にきれないし、そのためなら、どんな状況からも這い上がってしまう。
初期の頃は、都合のいい愛人になるような、ただすがるだけの関係ですらきっかけになったくらいに、それはシンプルな動機でした。
その後、相手を待つ期間やくじけてから這い上がるまでの期間が徐々に長くなっていったのは、松子なりの成長だったのだと思います。

そして最終的に彼女は到達できました。男へ一極集中して注ぐ恋愛というスタイルではなく、妹を想って、相手をキレイに幸せにしてあげるという、自らの技術を使ったより広く大きな愛の伝え方に。実際には妹はいないことは分かっているのだから、「大勢の人々に喜びを与えてあげる愛」の可能性に気づけたということです。

だから、あのまま松子が生きていれば、もうこれからは、無尽蔵に湛えた愛の出しどころに苦しむ必要もなかった。まさしく選ばれし人間として、多くの人を幸せな気持ちにしてあげられたでしょう。そこに気づけた時点で松子はもう十分に満足だったのだと思います。


殺され方が唐突に思えるほど無機的であることにも意味があるでしょう。あの死因は、映画の大半を占める昭和的な情の世界から遠く離れた、現代的なネット感覚コミュニケーションの象徴そのものです。彼らはまともに顔さえ映らない薄気味悪い笑い声だけの存在で、愛の塊である松子とは間逆の、心ない世界の闇の部分。残念だけれど、それらは確実に世界に同時に存在するものです。

でも、愛の伝え方を獲得した松子にとっては、彼らに対する憎しみなんてひとかけらも無かった。観客はあんな奴らに松子が殺されるなんて許せないと思うかもしれないけれど、あんな奴らに殺されても彼らのことなんて屁とも思わないくらいの高みに、松子は到達していたんだと思います。
ボロボロの見た目とボロボロの状況下で、あんな奴らに暴行されて朦朧としながらも、彼女は「これからいろんな人達を笑顔にしてあげよう。ありったけの愛を注ごう」と願い、幸せの象徴である歌を歌いながら死んでいったんです。彼女にだけは見える花畑に包まれて。


ストレートの大人は、家族制度という社会単位や、子育てという大仕事によって、良くも悪くも自由を奪われ縛られることで、比較的心の安定が得られやすい。
それに比べてオカマ達が置かれている状況はまさしく松子に似ています。
自由とは道なき荒野。
愛をいっぱいに抱えた子供大人みたいなのが、レールのない世界を、どこにその愛を運んでいけばいいのか分からないで心細く進んでいる。
映画版『少女革命ウテナ』のエンディングのように、その荒野を裸で笑顔で突き進められればいいのですが、そんな勇気はそうそう得られるものじゃないですから。

でも松子の生き様を観れば、どんな状況だろうが、人は愛の可能性さえ信じれば何度だって這い上がれること、そしてそれがどんな不運と悪意に拒まれようとも、自らの世界は花と輝きに溢れたものにいつだってできるということが分かります。

自分は、子供の頃に観た『愛少女ポリアンナ』から学んで以降、座右の銘が「良かった探し」なんですが、松子はまさしくそんな自分の人生観そのものの映画でした。

世界は想いで変えられる。生きるって素晴らしい!

あずみ2に観る敵役の美学(ネタバレあり)

ブルたん、コミック『あずみ』の大ファンなんです。まあ買わずにマンキツでマンキツしちゃってますが。先日、WOWOWで映画『あずみ2』がやってたんで観ました。1作目がたいしたことなかったので期待してなかったんですが、2作目はかなり良かった!

まず、敵がイイ!
敵の親玉に、平幹ネエさん!
『けものみち』といい本当に元気なネエさん。オカマの老後は華々しいわ…。
そして、最初は仲間のように見せかけて途中で裏切る女忍者に、栗山千明!
代表作『死国』『バトルロワイアル』『キルビル』の血なまぐさい女優ナンバーワン。
さらに、甲賀忍者の頭に、高島礼子姐さん!
あずみに対してブチ切れお江与な演技で
「なんぼのもんじゃぁ! 男も知らん、世間も知らん、生きとる意味もわからん女子があ!」と叫んでヘンな得物振り回して戦います。
しかも、平幹ネエの愛人も兼ねてて、ベッドシーンまで…。
実際には絶対高島さんがタチで平幹ネエさんがネコのはず。
ついでに、根岸季衣まで出演!(ちょい役の婆さん)

とオカマポイントはここまで。

『あずみ』の魅力って、美少女が最強の刺客、そして次々に現れる敵たち…みたいな王道的にヒキのいい設定ももちろんあるんですが、「平和な世のために、謀反を起こす種を枝打ち(抹殺)するのがあずみの使命」という、人一番ピュアな主人公の抱える矛盾と苦悩をきっちり描いている点だと思うんですね。

今回の映画はそこを大きくクローズアップしてくれていて、すごく好みの脚本でした。調べてみたら、脚本に川尻善昭が参加してる。『妖獣都市』『レンズマン』とかの大好きなアニメ系のクリエイターです。でもって1作目の監督が北村龍平だったのに、2は金子修介。全体的に、バイオレンス系から特撮系のスタッフに変わったおかげで、個性的な敵キャラ含め、よりコミック的なサービス精神にあふれた内容になってます。

ところで、栗山千明が、ほぼ負けると分かっていてあずみに切りかかるシーンで、「それが私の使命だから」と言うんですが、こういう敵サイドの覚悟を表すセリフってツボです。

まさしく『あずみ』のテーマなんですが、本質的に戦いとはそれぞれの真実のぶつかり合いなので、引いて見ると、善悪のモノサシは通用しない。だからこそ敵側の主義や覚悟をきちんと描こうとしている演出が入るとグッと深みが増すもんです。

横道それますが、ブルたんオタク期の心のアニメ『戦え!イクサー1』で、戸田恵子が熱演する敵役イクサー2も「私はお姉様を殺すために作られた。ただそれだけ」とクールに言って登場しました。前半の強気意地悪セリフ連発もオカマ好みなんですが、物語後半で結局負けが見えた時にもう一度、「私はお姉様を殺すために、ただそのためだけに作られたイクサー2だ!」と言って戦い続けるんですよ。コレぞ敵役の覚悟と美学。命賭けで立ち向かう心は、善悪など吹き飛ぶくらいに美しいのです。

『あずみ2』でも、栗山千明に続き、高島礼子も平幹ネエさんも、それぞれの想いを吐き出して死んでいってくれて満足でした。敵役にも平等に愛のある脚本ってええわー。

ブロークバック・マウンテン

ようやく見た!! 泣いた!!

すばらしい映画でした。わざとらしく「助けてくださーい!」とか叫んだりするあざとい演出なんて全然無し。それでも丁寧で繊細な表現の連続に、絶え間なく涙が出てくるのです。先走りのようにヌルヌルと染みまくりの涙でした(台無し表現)。


この映画、現時点で入ってきた感想群を考えるに、ある程度の年代は感動大。若い人はそれほどピンとこない。また、ゲイ事情に対して思いいれがある人間ほど評価が高い、という傾向があるようです。

確かに時代設定からして、「禁じられた恋」つう要素が大きいので、思春期にその感覚をどれだけ味わったかで、切なさの旨みが違っちゃうのは想像がつきます。それと 「時間の経過」も重要な要素なので、そういう意味でも、「遠くしみじみと思い出す過去」がある世代のほうがよりハマる、ということになるんでしょうね。

近年日本のゲイ業界でも「(主に反動から生まれるゲイとしての強い自意識が育ちにくい以上は)今後はもうゆるく広く分散したコミュニティやカルチャーしかありえないのかも」なんて話がそこかしこで出てるわけですが、この映画はまさしくそのゲイ意識の試金石とも言えるかもしれません。

この映画が作られたことや、映画界でほぼ最高の評価を得たことは、オカマNIKITA世代以上には純粋にすばらしいプレゼントでしょう。
そして自分にとっては、この出来事が今この時期にあったというのは、想いを伝えよう残そうとするパワーがなければそれは簡単に消えてしまうということを、改めて思い知るいい機会にもなりました。アン・リー監督大尊敬。ハルクのことは忘れるわ!


それにしてもヒース・レジャーはおいしいなぁ。恋愛における彼の側ってモテるよね。でも自分的にはジェイクのほうが全然気持ち分かる。『ブエノスアイレス』の時も、レスリー・チャンのほうに感情移入したし。まあ、だからこそヒースのような人はファンタジーとしても愛されやすいと。本当にいちいちかわいかったです。そしてアン・ハサウェイにもウケました。
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